更新:11月28日 11:00インターネット:最新ニュース
「ネット音痴」よりも深刻な誤報の原因
元厚生事務次官らが連続殺傷された事件で、毎日新聞が誤報を出した。ウィキペディアに犯行を示唆する書き込みがあったと報じたが、実際は事件後に書き込まれたものだったのだ。原因は記者がウィキペディアの時間表記の仕組みを知らなかったミス。マスメディアの「ネット音痴」ぶりは言わずもがなだが、この誤報は取材現場が直面する深刻な問題も明らかにしている。 ■デスクが知らなければ「特ダネ」?
問題となった記事は「元次官宅襲撃:事件6時間前にネット書き込み…犯行示唆」というタイトルでウェブサイト毎日jpにも掲載された(現在は削除されている)。内容は、ウィキペディアに掲載されている歴代の社会保険庁長官の一覧表にある吉原元次官の名前に「×(×は暗殺された人物を表す)」がつけられていた、というもの。ウィキペディアの時間表記は、設定を変えなければ日本より9時間遅れの協定世界時(UTC)で表記されるが、記者がそれを知らずに記事にしたというなんともお粗末な顛末だった。 初報の記事が誤報であるということはすぐにネットで話題になり、掲示板やブログからミドルメディアへと広がり、毎日はお詫びを掲載した。 この記事に限らずネットの話題はマスメディアに頻繁に取り上げられるようになっている。大事件になれば、掲示板での犯行予告や容疑者の書き込み、ブログが紹介される。以前のコラム「ネットが『スクープ』を生む時代に既存メディアが行く道は?」で書いたように、掲示板のまとめサイトやJ-CASTニュースなどのミドルメディアですでに記事になったことが、同じような内容でマスメディアに「特ダネ」扱いとして掲載されることもある。 新聞社の記事は、記者が書いた後、デスクが確認し、整理部・校閲部などを経て紙面に掲載される。複数の目でチェックして品質を保っているのが強みだが、ことネットに関してはこの仕組みがうまく働かない。 ネットの情報を知っている一部の記者が新聞社内での情報の非対称を利用して「特ダネ」を書く、つまりネットに疎いデスクが知らないから「特ダネ」になってしまうということが起きている。それどころか「2ちゃんねる」などに自らネタを仕込んで、話題を作り出す記者すらいるという。もはや、「ネットとマスメディアの対立」といった単純な構図ではなく、ネットをソースに安易な記事を書く「インスタント取材(記事)」が行われ、それがこのような誤報を生み出すひとつの要因となっている。 ■警察を主語にした「書き飛ばし」 毎日の誤報はさらに、マスメディア、特に社会部の時代遅れの取材手法も浮き彫りにした。 件の誤報は「アクセスの記録などから書き込みがなされたパソコンが特定できるとみられ、捜査本部は慎重に調べている」との文章で終わっている。この一文は何を意味するのか。 MSN産経ニュースの記事「毎日報道『ネットに犯行示唆』は誤報」には、「書き込みの内容は、参考情報として、捜査当局にも伝えていたという」と書かれているが、それが事実だとすると、毎日の記者はウィキペディアの書き込みを見つけて警察に伝え、「捜査本部は慎重に調べている」と記事に書いた可能性がある。 記者が現場で取材したことを警察に伝えて、否定しなければ「捜査本部は調べている」「捜査本部もこの情報を把握している」という記事になる。このパターンで典型的だったのは神戸連続児童殺傷事件だ。「黒いポリ袋を持った30−40歳代の中年の男性」「黒いブルーバード」という犯人像がさかんに報道された。 警察だけでなく、識者が使われることもある。神戸事件ではさまざまな識者が犯人のプロファイリング分析を行ったが、14歳が逮捕されるとはほとんど予想できなかった。 つい最近では、福岡市で小1男児が殺害された直後に、産経新聞が「幼児性愛者による可能性がある」「社会から疎外された気持ちを強めた若者が自分の存在を誇示する手段として、遊び感覚で、手っ取り早く自分よりも弱い子供を狙う犯罪が多い」といった内容を含む識者の分析記事を掲載したが、逮捕されたのは母親だった。 このような手法はマスメディア内部でも問題とされながら社会的にインパクトのある凶悪事件のたびに繰り返されている。 ■読者不在の続報を見直すとき 事件報道では「書き飛ばし」もしくは「書き得」とも呼ばれる原稿が大量に出稿される。元厚生事務次官らの連続殺傷事件でも、「靴のそこがギザギザだった」「逃げた方向から見ると犯人は…」など、さして重要でもないことがトップニュースになっていたが、このような記事は一つ一つ検証されることなく事件記事の洪水の中に埋もれていく。 「書き飛ばし原稿」が出稿される背景には構造的な問題がある。 大事件が起きると新聞社は「続報」を毎日掲載し続けなければいけないという「常識」に囚われる。無理やりニュースを作り出す必要に迫られ、競争の目が同業他社にしか向いていないため、ネタ切れを起こすと枝葉末節な部分にフォーカスした記事が量産され、本質から外れていくことになる。もちろん、この競争がスクープを生む原動力にもなっているのだが、読者不在の不毛な取材合戦に陥ることが多い。 また、警察や識者を主体であるかのように記事を書く、つまり権力に依存することによる責任回避は、このコラムで何度も述べてきた近代啓蒙主義の枠組みに囚われているから起きる。警察と同業他社という小さな世界しか見えていない新聞社の社会部には、もはや「社会」を切り取る力はない。 しかし、インターネットの登場によって、書き得はできなくなってきた。毎日はすぐにお詫びを掲載する事態となり、産経の記事も100以上のソーシャルブックマークが付き「この記事を書いた記者らはどうやっていい加減な発言の責任を取るつもりなんだろうか」といった疑問を投げかけられている。 そもそも、容疑者の供述や犯人予測、ネットに書かれている情報は「特ダネ」として書くべきことなのだろうか。マスメディアの持つ取材力は依然として高いものがあるが、問題はこれまではニュースと思われた記事の取材手法、切り口やテーマといった枠組みにある。これらを一度解体し、ニュースとは何かを見つめなおす必要がある。 [2008年11月28日] ● 関連記事● 関連リンク● 記事一覧
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