更新:4月27日 11:45デジタル家電&エンタメ:最新ニュース
英語の「脳トレ」が足りない日本のゲーム産業【コラム】
このところ、政府・行政に関わる人にお会いする機会が増えた。「どうしたら日本のゲーム産業の競争力を拡大・維持できるのか」ということが話題になる。「ゲーム開発の現場の人間の英語力を引き上げるのに予算はつかないのか」という提案になることも多いが、「やっぱり、そういうオチになりますか」と困った顔をされる。(新清士のゲームスクランブル) ゲームについて日本語で読める専門書籍や資料は実際少ない。これは、ゲーム産業に進みたいと思う人にとって壁になっているし、現実に働いている人が新しい技術や手法を吸収するための壁にもなっている。 ところが英語に範囲を広げれば、膨大な量の情報が手に入る。例えば、ゲーム開発者会議(GDC)の終了後、400以上の講演の資料が毎年70件以上もPDFで無料で公開される。また、ゲーム関係の書籍の出版ペースはますます加速しており、年間50冊以上の書籍が出ている。そうでなくとも、インターネット上には無料で読むことができるゲーム開発者向けの専門情報が膨大にあり、さらに増殖が続いている。物理的に個人で読める量をはるかに超えるほどだ。 今、多くの開発現場が抱えている問題は、専門的な情報をちょっと調べようと思っても、英文に当たらなければならないという現実だ。最新の3D関連の専門的な技術情報は、日本語では限りなくないに等しい。どこのゲーム会社も、チーム内に1人ぐらい英語に強い人がいて、かろうじてか細い情報を社内にもたらすハブ役を務めるというパターンが多い。きちんとした統計データが存在するわけではないが、現実に日本のゲーム開発者で英文の専門情報を読める人の数は決して多くはない。 90年代までは、日本語だけで十分なんとかできた。しかし、今や定番的な重要書籍と考えられているものでも日本語化されていないものが数多い。数年遅れて、年に数冊程度が翻訳されるが、まだ翻訳書が出れば救われる方だ。翻訳には専門知識が求められるが、その割に部数という点であまり報われない。日本の出版社がゲーム分野の翻訳書に積極的に取り組むという気配はなく、山のように転がる英語圏の情報を横目に見ながら、そのギャップが年々広がっていることに茫漠たる不安を感じている。 英語に慣れた開発現場の人材が増えれば、英語圏のこの膨大な開発リソースにアクセスできるようになり、ゲーム産業の競争力強化という点では、効果が大きいのではないかとよく考える。 日本のゲーム開発の基礎体力は、今後じわじわと弱っていくだろう。経済に関して将来の予想が確実につく要因がある。「人口」である。他の産業と同じく、18歳以下人口の減少の影響は避けて通れない。
1983年に登場した任天堂の「ファミコン」が大ヒットした80年代は、高度経済成長で各家庭の可処分所得が上昇し、73年に209万人と出生数のピークを迎えた「団塊ジュニア」が小学校高学年に成長するという好循環がちょうどぶつかった時期にあたる。そうでなければ、ハードが1万4800円もして、ソフト1本が5000円以上もするようなオモチャとしては高すぎる商品が飛ぶように売れたりはしなかっただろう。セガの大ヒットしたアーケード商品である「ムシキング」や「ラブ&ベリー」の登場が80年代であれば、もっと大ヒットし社会的なムーブメントになったほどではないかという議論もある。 ところが今は、2003年には112万人まで落ち込んだ出生数に見られるように、子どもの絶対数の少なさが市場成長に制約をもたらしている。任天堂は26日に好調な決算を発表したが、戦略的に成功している理由の一つは、少子化という環境変化に敏感に対応したことだ。「ニンテンドーDS」や「Wii」を全年齢をターゲットにして、それに受け入れられる商品開発を行ったことによって、今までのメーンユーザー層であった18歳以下人口の減少に対処して成功したといえる。 しかし、ユーザーと違い、ゲーム開発者は全年齢に広がるわけではない。やはり、それなりの高度な技術教育を受けた学生が採用の中心となる。ところが、その絶対数の減少が顕著なのである。労働人口の減少が、他の産業と同じくボディーブローのように効きはじめる。そのうえ、要求される知識はますます高度になり、技術的な主導権はすでに英語圏に移った。今の現場は80年代にファミコンをやった30歳代が引っ張っているが、任天堂でさえ10年後も今と同じく有力な開発会社であり続けるという保証は当然ない。 ゲーム産業をマクロで見たとき、今後どのように対応したらよいのだろうか。 短期で見れば、日本のゲーム開発者が英語力を付けることは必須のことであり、効果も大きいことはわかっている。労働人口の減少に対応するには、海外企業との提携や海外からの人材リクルートも選択肢に入れざるを得なくなる。当然、会話のベースは英語になる。技術を吸収するという点でも、英語力を持つ人材の不足がネックとなっているが、さらに海外企業とのビジネスを考えれば、言葉の問題はより重要になる。 しかし、英語力を付けた開発者を増やすことを手放しで推奨していいものかどうか悩むところもある。「東京ゲームショウ」に来日した北米の開発者が「日本の開発者が英語を話せるようになったら、アメリカの会社が積極的にリクルートを始めるよ」と言っていて、納得したことがある。
英語ができるようになると、今度はグローバルレベルでのフラット化の圧力が来る。福利厚生面などを勘案しなければならないので単純な比較は難しいが、給与水準だけを見るならば、日本の開発者よりも北米の開発者の方が確実に収入は多い。米調査会社が毎年行っている北米企業の開発者の「給与調査」をみれば、その差は2倍近いのではないかと思う(日本では同種の調査は存在しておらず、一般に言われていることから筆者の感じる相場感だが)。 給与面の待遇の差が、北米のゲーム産業に有力な人材の流入を引き起こす好循環をもたらしているのは事実だ。一方で、これが北米でゲーム開発費の天井なしの高騰を引き起こしている面もあり、数年後に大リストラが行われても驚かない。 日本の開発者は日本語しか話せないので、閉じていて北米企業へと流出することがない。英語ができる日本の開発者が増えれば、中長期には日本のプロ野球のようにトップ選手が大リーグに次々と流出して、なかば「二軍化」してしまうということが実際に起きる可能性はある。 それでは、日本の開発者は英語力が足りない今の状況の方がよいのだろうか。話が振り出しに戻ってしまう。 物事は入り組んでいて、何がベストということを考えるのは容易ではない。何かを選択すれば、それに付随して別の何かが起きる。日本のゲーム産業が今、競争力を回復しているのは、企業経営の立場から見ると、北米企業ような無茶な給与の高騰の巻き込まれていないからだ。一方で現場の開発者の英語力の不足が、現実にグローバルでの技術的な差を拡大しているという中長期に及ぶであろう影響も起きている。 日本のゲーム産業の競争力を維持していくためには、英語力を付けた開発者の育成は避けて通れないというのが私の結論だ。しかし、それは日本人も含めた多様な人材にとって労働意欲を感じさせる魅力的な環境を整えなければならないという労働人材の国際競争にさらされることも意味している。「日本のゲーム産業をどうするべきか」といった国レベルでのとらえ方が、そもそも古くなりつつあるのかもしれないとも思う。 [2007年4月27日] ● 関連リンク● 記事一覧
|
|