更新:2009年3月2日 10:50ビジネス:連載・コラム
夏野剛のネオ・ジャパネスク論激動のIT革命10年で学んだ人、学ばなかった人
「iモード」が10周年を迎えた。思えば10年前、日本はIT後進国だった。そもそもインターネットを使いこなしている企業が少なかった当時に、ケータイでEメール、ケータイでネット接続という無謀なことをよくもまあやったものだ。社内外のほとんどの人が信じていなかったし、私自身ここまで急速に発展するとは、10年前には予想もつかなかった。 ■大企業神話がつぶれた1997年 私がNTTドコモ(当時はNTT移動通信網)に来た1997年はとんでもない年だった。私の在籍したベンチャー企業が倒産したということはさておき、三洋証券の倒産、山一証券の自主廃業、そして北海道拓殖銀行の破綻。大企業はつぶれないという神話が崩れ、日本が大きな転機を迎えた年だ。
先見えない不況、将来への漠然とした不安。そこからスタートした異端児集団が、1999年2月22日にiモードのサービスをスタートさせた。 ノストラダムスの大予言では世界が滅びる年になっていた1999年は、携帯電話番号の11桁化で幕を開ける。拡大する携帯電話需要に番号が追いついていかず、桁数を増大。日銀がゼロ金利政策を始め、金融業界の救済がこの年から始まった。 自動車産業は国が助けず、日産自動車は仏ルノーの傘下に。松坂大輔のプロデビューもこの年。松坂は今や大リーガーだ。ロシアでプーチン首相が実権を握る一方、石原慎太郎都知事も10年。宇多田ヒカル、モーニング娘。のブレークもこの年。 東証マザーズでベンチャーの上場ブームが始まったのもこの年。それまではベンチャー企業の上場なんて事実上あり得なかった。十年一昔とはよく言ったものだ。 ■生活の急激な変化の中心に そこから日本のITは、最初はケータイを中心に、後にはブロードバンドが急速に普及することで一気に世界の最先端に躍り出た。ドコモのパケット通信料収入は、ほぼゼロの状態から1兆3700億円(2008年3月期)に拡大。コンテンツも2000億円以上のマーケットとなり、多くのベンチャーが上場した。 国民の生活も一変した。ケータイメール。今や必須のコミュニケーションツールは、人のつきあい方を変えた。始終連絡を取り合うことがカップルの条件に。所帯持ちの「帰るコール」は「帰るメール」に。電車の中から、漫画を読むサラリーマンの姿は消え、ひたすらケータイをいじる人々の姿に。 これらの変化の中心にいることができたのは、本当にラッキーなことだった。いろいろなことを学ばせてもらったし、経験もした。世の中が恐ろしいくらいのスピードで変化していくこと、楽しいこと、充実感、達成感とともに、虚しさ、バカらしさ、呆れ返るようなことまで。 ■10年間で学んだ人、学んでいない人の格差 日本は、この10年間で何かを学んだ人とまったく学んでない人に、あるいは学習した会社・組織と学習していない会社・組織に完全に分かれた気がする。この10年間で、経済と社会は全く異なるステージに完全移行したと思う。 IT革命が私たちにもたらした情報流通スピードの高速化、社会変化スピードの速さ、多種多様なプレーヤーの相互関係から生まれる複雑さに、過去のやり方で対応しようとしても無理である。それを痛切に学んだのがこの10年ではなかったか。 もはや10年前の前提に戻ることはできない。それは当たり前の現実である。しかし、学んでない人々、懲りない人々は、未だに昔のやり方・考え方を持ち出すことがある。 ■携帯電話市場の「官製不況」の責任は 今さら郵政民営化を問題にしている人はまったく学んでない。民営化の流れは成熟市場における原理原則だ。しかも決定のときに論議を尽くし、自民党を離党する人まで出て、選挙で国民の信を問うことまでして可決されているわけだから、今さら見直しなどと言っているのは社会利益を考えぬ意見としか言いようがない。 携帯電話のビジネスモデルへの総務省の介入も「今さら感」が拭えない。あれだけ携帯電話会社の市場支配力を非難し、ある意味、ビジネスモデルを変更させるという、市場経済に逆行することまでやったのに、今や支援するはずの携帯電話メーカーを青息吐息の状態に追いつめている。 「官製不況」と言われているが、そう言われても仕方がない。この官製不況の責任は誰が取るのか。 次ページ>>大衆薬のネット販売規制は今やるべきことなのか? ● 関連記事● 関連リンク● 記事一覧
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